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2025/04/04(Fri)14:21
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2018/04/06(Fri)21:10
先日は大阪の太融寺様にて高野山真言宗青年教師会主催による結縁灌頂声明講習会の講師を務めさせて頂きました。
高野山をはじめ古義真言宗で用いられる声明(南山進流)に現流しているものの殆どがこちら太融寺の葦原寂照師の系譜に連なるものであり、この結縁潅頂に使われる大阿闍梨及び乞戒師声明の基となっている次第(高野版)も寂照師のお書きになったものです。
実に相応しい会所にて有り難い機会を頂けたものと感謝しております。
講習の終わりに受者の方から由下(ユリオリ)の音動が曲の場所によって違うのかという質問がありました。これは当に核心を突いた質問で、講習中にも少し触れました「ユリは必ず下から上に上がって終わるべきか」ということと同様、高野山の声明の最も特徴的な箇所の一つでもあります。
本来なら丁寧に時間をかけて御説明したいところであったのですが、簡単に結論が出る問題でないのと、徒に時間ばかりかかってしまってはいけないと怯んでしまい、些か緊張もあっておざなりな回答になってしまったことを後悔しています。
前述の通り現在用いられている声明はみな葦原寂照師の系統と云ってしまってもいいようなものですが、その中でも高野山だけは独自の伝承を持っているものと思われます。いうなれば地方々々の声明というより「高野ネイティブの声明」と「高野山以外の葦原声明」のような感じかも知れません。
今や高野山の声明が広く地方や他の本山にも浸透して来ている状態なので一概には言い難いですが、高野山系以外の声明(そんなものは無いという考え方もできると思いますが、今此処では主に鈴木智弁師や岩原諦信師の系統を指します)では、由下を本当に下げて終わることはありません。
これは博士が変化しても主たる音に戻ってくることが出来なくなっては困るので調整しているものと思われます。楽器を使わず耳だけを頼りで唱えている場合、一音上がって下がる、又は一音下がって上がる分には良いのですが、二段階以上変化すると段々と元の音に戻ってくることが困難になってくるからです。
対して高野山では意識的に一つ目のユリより二つめを下げて由下を唱える場合があります。後讃の四智漢語・心略漢語の頭や中曲の善哉の頭が代表的です。その一方で称名礼や礼仏頌・教化等に出てくる由下では下ることはなく、実際には一旦もち上げてから下げたことにします。表白の乙由の場合は人によって両様用いられます。
下げる方が博士からみて理に叶っているようですが、これをやると変化の多い曲の場合その後の音の扱いが(元の音に戻ってこられるか)が途端に難しくなります。しかしこれを克服して上手く戻ってこられたら流石お見事ということになります。
またいつの頃からか徵角同音という口伝になっているので、徵の下がった音(反徵)は角よりも下がってしまうことになるという矛盾を孕んでいます。
岩原諦信師は現行の声明が理論とかけ離れているのを出来るだけ修正し、博士(楽譜)通りに唱えるように努力された方でしたが、由下に関しては一貫して下げることはされていません。
これらの解釈の違いによって種々のバリエーションが産まれ、声明は教える人によって全然違うからということになってきます。
でもこの理屈を判っていれば、そんなに違うことをやっているのではないのだということも納得して頂けると思われます。
今の由下の場合は、頭や表白師の独唱なら已達の人であれば自由に調整してそれなりに唱えることができますが、大勢で唱えるとバラバラになること必至ですので、そこに申し合わせでも統一見解を出してやる必要があります。
ここが一番の難点であり、中曲善哉の如きは名所(聴かせ処)であるにも関わらず、合わないからと省略されていく傾向にあります。これはなんとかしたいところです。ちなみに高野節(略節)には由下はありません。
疑問を持たれた方がここを見られるかはわかりませんが、自分の脳内整理の為に思いつくままを記してみました。長文お読み頂きましたらありがとうございます。もし識者の方の御意見などお寄せ頂ければ幸いです。
No.612|声明|Comment(0)|Trackback
2015/05/20(Wed)21:49
今年の涅槃会之会は少し時期が遅くなりましたが、京都の千本釈迦堂にて修行させて頂きました。
「千本の釈迦念仏」は徒然草にも登場してつとに有名ですが、この大報恩寺は元々は奥州平泉の系統である義空上人の開基であり天台宗の寺であったものが、江戸時代に幕府の施策によって真言宗(智山派)に改宗されたとのことです。御住職の話によれば兼好法師の耳にされた念仏は大原声明千本式といわれるものでこちらには残っておらず、改宗以降は智積院の式によって遺教経会が行われているとのことでした。またこのお寺は代々智積院能化の隠居寺でもあり、先々々代住職の瑜伽教如師により新義版の四座講式が刊行された所でもあります。
今年は明恵上人が四座講式を著し高山寺で涅槃会を行われてからちょうど八百年とのことで、特に新井弘順先生の発願により四座講を行いました。当会で四座講を行ったのは第一回目の高山寺以来で、朝9時に入堂して夕方まで8時間に及ぶ長座となりました。また今回の会所については、添野智譲先生が本年度の御修法大行事をお勤めになった砌りに事務局の菊入僧正との御縁があり、来させて頂けることとなりました。有り難いことです。
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2015/03/31(Tue)21:12
西宮の県立芸術文化センターで行われた声明とバーゼル・フルートトリオ(阿部礼奈、小山裕幾、小松綾)による鎮魂コンサートに参加させて頂きました。フルート3本によるアンサンブルと即興?は素晴らしく聴き応えあるものでした。ホールは満員御礼。明日は高野山大学黎明館です。
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2015/02/05(Thu)15:50
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2011/11/23(Wed)18:04
御来場いただきました皆さんありがとうございました。
↓ 善住寺コウジュンさんのブログに詳しい記事がアップされています。
http://ameblo.jp/anzac76/entry-11094589797.html
No.486|声明|Comment(0)|Trackback()
2011/11/20(Sun)16:46
演唱予定曲目
唄(ばい)
法要の始めに独唱して場内を静粛にする曲。
今回は云何唄(うんがばい)という曲の冒頭一句のみをお唱えします。
散華(さんげ)
諸仏をお迎えするため、花びらを散らして場内を浄らかにする曲。
今回は三段ある内の中段のみをお唱えします。
対揚(たいよう)
散華に付随する曲で、本尊あるいは関係の諸尊の名を一々に唱えあげて称賛します。一句ごとに立ち座りするのは礼拝の意。頭人(調声人)と職衆(それ以外の配役)が、掛け合いの形式で交互に唱えてゆきます。
唱礼(しょうれい)
導師は法会の間、中央の壇に登って仏を供養する修法を行います。唱礼はいよいよ修法の核心に入るにあたって、導師みずから職衆一同を率いて懺悔し礼拝する意を表明する曲です。
今回は金剛界唱礼(こんごうかいしょうれい)といわれる浄三業(じょうさんごう)・普礼(ふらい)・五悔(ごかい)・勧請(かんじょう)・五大願(ごだいがん)等の一連の曲目から抜粋してお唱えします。
光明真言(こうみょうしんごん)
法会のクライマックスには、経典を読誦する方法と真言を念誦する方法の二種類がありますが、今回は光明真言をこのコンサート用にアレンジしてお唱えします。
真言(マントラ)とは古代インドの言語をあえて翻訳せずそのまま伝えたもので、言葉自体に特別な力(言霊)を持ちます。この光明真言は、大日如来の発せられる光によって今迄犯してきた罪科を消滅し、仏の道に導いてくれる力をもった言葉であるとされます。
後讃(ごさん)
お経の終わりに唱える讃を総称して後讃といいます。丁寧には三曲を唱え、それぞれに妙鉢(シンバル状の楽器)を打ち鳴らします。今回は四智漢語(しちかんご)という一曲をお唱えして第一部の括りとします。
四智とは大日如来の功徳(働き)を四つの智慧として讃嘆する意です。
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2011/11/04(Fri)19:05
No.473|声明|Comment(0)|Trackback()
2011/10/01(Sat)23:29
No.460|声明|Comment(0)|Trackback()
2011/07/14(Thu)22:50
No.437|声明|Comment(0)|Trackback()