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長楽庵

但馬の国  射添の郷  川会山長楽寺
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南山進流 由下の音動について

2018/04/08(Sun)09:41

先日は大阪の太融寺様にて高野山真言宗青年教師会主催による結縁灌頂声明講習会の講師を務めさせて頂きました。
高野山をはじめ古義真言宗で用いられる声明(南山進流)に現流しているものの殆どがこちら太融寺の葦原寂照師の系譜に連なるものであり、この結縁潅頂に使われる大阿闍梨及び乞戒師声明の基となっている次第(高野版)も寂照師のお書きになったものです。
実に相応しい会所にて有り難い機会を頂けたものと感謝しております。

講習の終わりに受者の方から由下(ユリオリ)の音動が曲の場所によって違うのかという質問がありました。これは当に核心を突いた質問で、講習中にも少し触れました「ユリは必ず下から上に上がって終わるべきか」ということと同様、高野山の声明の最も特徴的な箇所の一つでもあります。
本来なら丁寧に時間をかけて御説明したいところであったのですが、簡単に結論が出る問題でないのと、徒に時間ばかりかかってしまってはいけないと怯んでしまい、些か緊張もあっておざなりな回答になってしまったことを後悔しています。

前述の通り現在用いられている声明はみな葦原寂照師の系統と云ってしまってもいいようなものですが、その中でも高野山だけは独自の伝承を持っているものと思われます。いうなれば地方々々の声明というより「高野ネイティブの声明」と「高野山以外の葦原声明」のような感じかも知れません。

今や高野山の声明が広く地方や他の本山にも浸透して来ている状態なので一概には言い難いですが、高野山系以外の声明(そんなものは無いという考え方もできると思いますが、今此処では主に鈴木智弁師や岩原諦信師の系統を指します)では、由下を本当に下げて終わることはありません。
これは博士が変化しても主たる音に戻ってくることが出来なくなっては困るので調整しているものと思われます。楽器を使わず耳だけを頼りで唱えている場合、一音上がって下がる、又は一音下がって上がる分には良いのですが、二段階以上変化すると段々と元の音に戻ってくることが困難になってくるからです。

対して高野山では意識的に一つ目のユリより二つめを下げて由下を唱える場合があります。後讃の四智漢語・心略漢語の頭や中曲の善哉の頭が代表的です。その一方で称名礼や礼仏頌・教化等に出てくる由下では下ることはなく、実際には一旦もち上げてから下げたことにします。表白の乙由の場合は人によって両様用いられます。
下げる方が博士からみて理に叶っているようですが、これをやると変化の多い曲の場合その後の音の扱いが(元の音に戻ってこられるか)が途端に難しくなります。しかしこれを克服して上手く戻ってこられたら流石お見事ということになります。

またいつの頃からか徵角同音という口伝になっているので、徵の下がった音(反徵)は角よりも下がってしまうことになるという矛盾を孕んでいます。
岩原諦信師は現行の声明が理論とかけ離れているのを出来るだけ修正し、博士(楽譜)通りに唱えるように努力された方でしたが、由下に関しては一貫して下げることはされていません。

これらの解釈の違いによって種々のバリエーションが産まれ、声明は教える人によって全然違うからということになってきます。
でもこの理屈を判っていれば、そんなに違うことをやっているのではないのだということも納得して頂けると思われます。

今の由下の場合は、頭や表白師の独唱なら已達の人であれば自由に調整してそれなりに唱えることができますが、大勢で唱えるとバラバラになること必至ですので、そこに申し合わせでも統一見解を出してやる必要があります。
ここが一番の難点であり、中曲善哉の如きは名所(聴かせ処)であるにも関わらず、合わないからと省略されていく傾向にあります。これはなんとかしたいところです。ちなみに高野節(略節)には由下はありません。

疑問を持たれた方がここを見られるかはわかりませんが、自分の脳内整理の為にも思いつくまま記しておきたいと思います。長文お読み頂きましたらありがとうございました。もし識者の方の御意見などお寄せ頂ければ幸いです。

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